
妻が出演する定期演奏会を聴きに行きました。客席に座ってステージを見つめていると、九年前に自分も同じステージで演奏していた頃の記憶がゆっくり浮かんできます。ただ今日は、自分が演奏するわけではない分、落ち着いた気持ちで音に向き合えていました。
家では妻が本番に向けて練習している様子を近くで見ていて、どうしても苦手な箇所があることも知っています。音に現れない細かな苦労や、繰り返し向き合っていた部分の気配が耳に入るたび、客席にいながら心配が少しだけ募っていきました。それでも合奏が始まると全体の流れに自然に溶け込み、まとまりのある演奏になっていて、その瞬間にふっと肩の力が抜けました。自分が手を出すわけではないぶん、見守るしかない立場の静かな緊張のようなものがあり、合奏の安定した響きがそれを和らげてくれたように感じます。
曲が終わり、ステージの照明がゆっくり落ち着いていくと、ホール全体に静けさが戻ってきました。外に出たときの冷たい空気が、演奏の余韻をそのまま包み込んでくれるようでした。今日は、家での練習を知っているからこそ味わった心配と、合奏がうまくいっていたことへの安堵が静かに並んだ一日でした。

